2011年12月31日土曜日

年越し

今年最後の仕事を終えました。
ま、3日までにあげないといけない仕事は年明けにするんですけども。
まずは仕事を打ち上げて、年越しをいたします。


本当に今年はいろいろありまして。
ああでもない、こうでもないと沢山考えまして。
結局答えが出ないまま大晦日を迎えたというわけであります。


来年はその答えを出しますよなんてことは思いません。
これも時の流れでございます。
逆らわず流されてまいります。


大晦日の夕暮れ時、
ワタシも年越しの買い出しに出かけましたショッピングストアライフ。
レジを通って袋詰めする棚の上、
買った商品を袋に詰めております。


隣には野球帽のつばを前にやったり後ろにまわしたり、
手持ち無沙汰の男の子。小学生、3、4年生ぐらい…。
そして横には袋詰めをしているお母さん。
徐にお母さん、男の子に話しかけるのでございます。


「なぁ、宿題やったんか、あんた」
ピクっと身体が反応したかと思いきや、
被っていた野球帽を落ち着いて脱ぎ、悠然としゃべり始めます。


「お母ちゃんな、宿題宿題ってな、あんまり言いな」


ワタシ、耳だけダンボで釘付けであります。


「なんや、あんたは言わな何もせんやないか!」
「うん、そうやな、お母ちゃんの言うてることは解る。
 ボクは言う事聞けへんもんな。
 でもな、ボクはボォッとして聞いてへんのんとちゃうんやで」


もうたまりません。


「なんやのん、意味があるとでも言うのんか」
「せや、ボクはな今宿題するより、本当に必要なことをしてるんやで。
 そこを解ってほしいわ」


「ほぉ、おもろい。その大切なことってなんやねん」
「考えてみぃやお母ちゃん、小学校6年間ってあっという間やとおもえへん」


「はぁぁ」
「もう半分過ぎてもうたんやで」


おぉ、4年生か。


「それがどないしたんや」
「もう遊んでられるんは2年ぐらいや。びっくりするやろ」


「なにがびっくりや、あと2年も遊ぶつもりか」
「遊ぶよ、今遊んでたくさんおもしろいことするんや」


「アホ!勉強せんかい!」
「お母ちゃん、がっかりやわ。
 今いっぱい勉強したってどないなんねんな。
 まさるちゃん大学でても働いてへんやんか」


「アホ!人のこと言いな」
「な、そんなことよりこんな楽しいときに
 宿題宿題で楽しまれへんかったらもったいないやろ。」


「……」


……。


「今はいっぱい友達といい想い出を作るんやで、わかってや」
「ほぉ、ほな想い出作りして宿題せんと学力も低下して、
 友達と同じ学校行けんでもええねんな」


「い…」
「ええよ、ええよ、遊んどき。
 お母ちゃんは想い出作りなんてどうでもええわ。
 宿題せん言うんやったらこっちは契約不履行で
 お年玉に影響が出るっちゅうことは覚えときや」


「あ、お母ちゃん。なに言うてんのかわからへんよ…」
「お年玉や!」


お母さん少年を振り切るように
大きい荷物を振り回し出口に向かうのであります。


「お母ちゃん…、お母ちゃん!」
少年はおずおずと母のあとを追っかけていくのでありました。




さぁ、ワタシも年越ししましょう。
いま楽しいお正月を迎えるべく年越しそばを作ります。
皆様よいお年をお迎えください。


※ちなみにこの親子の会話は本筋はこの通りですが、
 細部にわたり脚色が入っております。だって全部覚えられませんもん。

2011年11月10日木曜日

ケーキ

得意先のお客様が転職されるということを知れば、
いきさつを聞きたくなるのは人情というものでございます。
なれば喫茶店も吟味して、静かでゆったりソファなんかあるお店が必要であります。


して、わたくしは新阪急ホテルの喫茶室(喫茶室というのも如何なものか)へ
向かったのでございます。


ゆったりソファが存在いたします。
ゆったり腰を下ろしますと絶妙のタイミングで店員さん、
いやウェイトレスさんて言うんでしょうか、コンシェルジュですか。

そのような人が水を持って来られます。

若いです。べっぴんさんです。

さすが有名ホテルでございます。

「何になさいますか」

大切な話を伺うわけですから、
あっさりシンプルにコーヒーぐらいを注文して話に集中するのが
常套手段なのでしょう。


しかしワタシは違います。

どんな状況でもベストに楽しむ事を常といたします。
ですから聞くわけですよ全神経を集中して
「ちょっとケーキも食べてみたいね。何がおススメだい?」

あくまでフランクに、それでいてここの自慢は何なんだね!
実力を見せてご覧なさい!ぐらいの威圧感も醸し出すのでございます。


「はい、そうですね…。宇治抹茶ロールとモンブランセットはどうでしょうか」

ウェイトレスさん、めちゃめちゃべっぴんな笑顔で仰るのです。

間髪入れず「じゃ、それで。さらに、合コンも」
すかさず付け加えるのでございます。


「はははは、是非是非」さすがでございます。
中年オヤジのあしらい方も天下一品。



さて本筋の転職のいきさつはプライベートな情報のため、
ここでお話しするのは控えさせて頂きますが、
ラッキーというかこれが本当の実力ではないかという良い転職になられました。


おめでとうございます。
40を迎えてからの転職でこれほど好条件はそう滅多に聞くものではありません。


これぞ日頃の行いの賜物でありましょう。
ワタシも自分の行いを振り返って反省せずばなりますまい。



そうこうしているうちにたいそうなプレートにのせられた
ケーキセットが運ばれてまいります。


さすがホテルのケーキでございます。
モンブランに栗以外に葉っぱも刺さってます。
枝に見立てたチョコレートまで横たわってます。
ロールケーキに至っては小豆と生クリームが抹茶ロールケーキに
こぼれるように乗っかっております。


そしてこのケーキ周りにフランス料理かっちゅう
メイプルシロップがポタポタ絵を描いています。

日頃イチゴのショートケーキぐらいが関の山なワタシにとって
驚きの連続でございます。


さすがにイチゴのショートケーキとは趣が違います。
沢山の旨みが口の中で一斉に広がって
ワタシを幸せのディズニーランドへ連れてってくれます。



この幸せのケーキセット、ホットコーヒーつきで1200円!
これまた驚きでございました。





2011年9月27日火曜日

挑戦

いやぁ、この目紛しく発展しては時代遅れとなってしまう世の中で
私も来月四十と六歳を迎えようとしております。

曲がりなりにもネットを使って、データのやりとりとか
データ作成なんかを行っている職種の人間として、
ここらで普通の人が普通に適応している事を私も挑戦してみようかと思ったわけであります。


多分、他の人が見たら
「なーんや、そんな事か。ちょ〜カンタンやん」ぐらいの
事であります。

ただ、私この計画を思いついてからかれこれ半年の歳月を費やしたのであります。

悩んでは諦め、いやイカン!ここでめげては前へ進まぬ。
自分に鞭を振るいやっとこの度、挑戦を果たしたということであります。



この挑戦、二つありまして。


一つはかねがね鬱陶しく感じておりました頭髪を
サッパリ丸坊主にする事であります。

「え!時々やってるやん。素敵やないやん〜」と思われる方、
私に近い方ですと多々おられる事でしょう。


今回私が挑戦するのは、この丸坊主を私が私自身で行う事であります。

つまりセルフカットってやつでございます。




そして、もう一つの挑戦は、
自作の動画をYouTubuに公開するという事であります。

これは長年思い描いていた挑戦でして、
絶対必ずいつか果たしたい宿題でありました。






で、今回この二つを一緒くたに挑戦したのであります。

以下がその成果であります。








いかがだったでしょうか。
失礼いたしました〜。

2011年8月25日木曜日

中央突堤

火曜日のことじゃった。
潮の香りに誘われて、大阪港の中央突堤へ向かったのじゃった。

もうすっかりあたりは暗くなり、物悲しいたそがれどき。




おっちゃん、今日の釣果はいかがでしょう。
わしは、船を見とるんじゃ。

今まさに大海原へ旅立つ大型タンカー。

「船は出て行く、あなたは来ない〜」

おっちゃんの釣り竿がキュッと引かれ、身体がビクッと反応する。

根がかりやちゅうのに〜。

「船は出て行く〜、あなたは来ない〜」

2011年8月23日火曜日

電話

バリバリバリ…
携帯電話が鳴り響く午前11時。
画面には0792の市外局番の見慣れない番号通知。

「はいまつおかです」

溌剌と電話に出てみました。

「●●の電話でしょうか」

恭しく発せられた声はお歳を召された女性であります。

「いえ、まつおかです」

もう一度はっきりとこちらの名前を告げるとその女性は

「あー申し訳ございません。間違い電話をしたのでしょうか」

とても丁寧に謝られてしまいまして。

「何番におかけですか」


基本的に間違い電話して来られますと私、結構無愛想になるのでありますが、

今回はいたって優しい体操のお兄さんでございます。

「ゼロ、キュウ、ゼロ…」

番号を一つずつゆっくり正確に伝えられまして。

「あー、最後の数字が違いましたね」

「あらー、そうでございましたか。ほんっとうに申し訳ございません…」
きっと受話器の向こうで深々と頭を下げているのでございましょう。
ございませんのざいあたりから声がかすれて聞き取り辛くなっていまして。

「では、失礼いたします」

最後の最後まで丁寧すぎる受け答えでございました。

きっと、田舎の結構厳格な家庭の奥様でいらっしゃるのでしょう。

都会に働きに出た、歳の頃なら30歳手前の一人息子。
都会の暮らしは大丈夫だろうか、幾つになっても親は親。
心配は募るばかりのお母様。
仕事先でいい人でも見つけたのだろうか、それならいいんだけど。
最近、忙しいらしく今年のお盆も帰って来なかったし。
そろそろ身を固めて欲しくて見合いの話など沢山用意していたのに…。


お父さんは「そんなもん放っとけばいい!あいつも子供じゃないんだから!」
突き放すように言うもんだから、
こそこそとお父さんがいないお昼前を見図ってかけた電話。

「これ、オレの連絡先やから…」乱暴に放られた名刺の裏に
殴り書きされた携帯電話の番号。

何度も見返してゆっくりボタンを押したはずだったのに、
最後の数字がその瞬間判読できなくなってしまったお母様。


想像は膨らむのでございます。


きっと今頃、名刺の裏に殴り書きされた番号を一つ一つしっかり押し込み、
最後の数字を再度確認して人差し指が真っすぐ番号を射抜いているところでございましょう。


お盆も終わり、熱帯夜から解放された日本列島は少しだけ秋の香りを漂わせております。




因に、0792の市外局番は
兵庫県 姫路市、太子町、香寺町、高砂市(一部)だそうです。




2011年7月13日水曜日

うた

いえいえ、こう年齢を重ねてまいりますと、
趣味嗜好というものはそっと変わって行くものでございます。


例えば、肉にガッついていた若い頃から
白身魚をこよなく愛するおじさん口になっていたり。


例えば、ドンパチよろしくアクション映画に爽快感を得ていた10代の私は、
涙がなければ映画と認識しない40代後半を送っているのであります。


そして、私のような仕事をしている方なら
必須となります音楽もまた然りであります。
よろしくロッケンロール、JAZZだぁ、ブルースだぁと
もろもろ流行の上っ面のかすみ液をすくうようになめて過ごしてまいりました時代が
もういい加減人生の折り返し地点を通過しますと、
なんと驚くなかれ、これがここへ到達するのでありますよ。


それは、演歌!


よろしいなぁ演歌。
日本の心だすなぁ演歌。
コロコロ回るこぶし、よろしいですなぁ演歌。


お酒は全く飲めませんけど、
多分ぬるめのカンがよろしいんでっしゃろなぁ。


肴はあぶったイカでええんでっしゃろなぁ。


日本人は日本海が似合うんでっしゃろなぁ。


津軽海峡もよろしいですわなぁ。


もう、向こうのもんこう握ってこっち持ってきて、パァって投げる感じ。


よろしいですなぁ演歌。




只今、YouTube上でさゆりちゃんが流れております。


思わず一人連絡船に乗り凍えそうなかもめ見つめ
泣いてみたくなる津軽海峡冬景色が流れ、
くらくら燃える火をくぐってあなたと越えたくなる天城越えで涙し、
ちょっとムーディーにウィスキーがお好きでしょ!
なんて言われようもんなら、一口も飲めない私だってお好きです!って言いますって!
もう少し喋りますって!


さゆりちゃーん!つって。




10代の頃、嫌悪していた親父達の嗜好はまさしくこのあたりだったのでありましょう。
あの頃はわからなかったんですねぇ。
私、親父達の年齢になりまして、しみじみ日本人である事を実感するのでございます。


本日、仕事の打合せで個室に通された私は、
担当さんが来られる数分の間。
口ずさむのであります
「ふんふんフンフン、ふふふフフン、ふふふふフンフンフフン、ふふふふふん…」


ガチャッ。


「お待たせしました」


アッ!


「どうかされましたか?」


いえいえ…


つつがなく打合せが終わり一礼をして退出しようとした瞬間、
担当さんがおっしゃいまして。


「雨の慕情はよろしいですなぁ…」




私、八代亜紀も好きであります。

2011年4月18日月曜日

ご無沙汰でございます。

ご無沙汰でございます。

引っ越しも無事に終わりまして、
抱えていた仕事も予定通り初校を出し、
最終段階前の中休みでございます。

あれからひと月。
沢山の方達にお世話になり、新しい環境で、
新しいスタートを切っています。

おめでとうって沢山の方が言ってくださいました。
有り難うございます。

こんな日本が大変なときに、私はおめでとうって、
いつもより沢山沢山祝福していただいているのです。
そして私はその何倍もの数のありがとうを
その方達にお礼申し上げてきたのでございます。
そんなひと月でございました。

私は、あらためて言葉の難しさを実感してまいりました。
こんなときだからこそ、書かなければと思うのだけれど、
伝える言葉が出てまいりません。
何度か書いてはやめ、また書き出しては躊躇の繰り返しでありました。

心配する言葉を書けば、きれいごとに聞こえてしまったり。
オレには関係ないって悪ぶっても、多分本心ではありません。
だから文章として成立していない、
言葉の切れ端が下書きのファイルにたくさん積み上がっています。

何せ、私は震災とはまったく関係のないところで、
映像や文章を目にする事で一緒に被災者ぶっていたのかもしれませんから、
目一杯うしろめたいのでございます。


引っ越しが終わり、
業務に追われた日々が順調に消化されまた日常が戻ってきますと、
沢山の人たちとお話しする機会も戻ってまいります。

引っ越しの案内状が届いた方から、多々電話を頂いたり、
また突然の訪問でお祝いされたり。
面と向かってお話をしまして。

たくさんたくさん、
今までできなかった話を堰を切ったようにとめどなく、
どなたも私も話をしまして。

言葉はとても難しいですが、話す事はとても大切なのです。
私のような気分に左右される思考の持ち主にとって、
頭の中だけでは、とてもとても考えはまとまりませんし、
ろくな事を考えないわけです。
皆さんもどうやら同じように行きづまっておられたようです。
最後には少しすっきりされて帰られたようです。
いや、それは間違いなく私の方もなのですが。

結局、私には被災地の方達を勇気づける事も、
被災地を復興させる事も、
ましてや日本を救う事なんて出来ない事を知ったのであります。

唯一、復興支援の募金を少額なれど、
おりにふれ続けて行く事しか出来ない事も知ったのであります。
それでいいんだと、皆で声を合わせて確認したんであります。

そして今、地震に伴って起きている沢山の問題に関わる
関係者の人たちを非難することを放棄しました。

多分、いけないことも沢山あったのでしょうが、
精一杯事態収拾に尽力している人たちを責める事は、
何ら人のためになっていない私には出来ない事であります。

もしかしたら、その現場で働いている人や、
遠くから指示を出している人が、
本当の意味でこれからの日本を救う事の出来る人たちかもしれないわけですよ。

これは語弊がありますよね。

いや、救うも滅ぼすのもその人たちの手によるんじゃないかって事です。

もっと語弊がありますね。

ならば、その人たちが日本を救うヒーローになって欲しいのであります。
だから応援したいのであります。

毎日記者会見で窮地に陥っているおエラい人たちにもエールを贈ります。
私があの立場になったらって考えるだけで頭が下がる思いであります。


「しちゃった事はしょうがねぇ」
北の国からの黒板五郎さんは蛍にそう言った。
「オレも少しだけ責任をとるから」って。

そう、被爆国である我が国が原発を容認した
我々国民も責任を背負わなきゃいけないんですから。
みんなで応援し合わないと上手くいかないように思うわけです。

金も力も根性も無い私は、責任を噛み締め、
日々の生活を頑張ってまいります。
沢山の援助をしていただいた外国の方たちにも感謝の気持ちを忘れずに。

また、キレイごとに聞こえてしまうでしょうか。
本当にそういう気持ちであります。

またちょくちょくブログ書いてまいります。
今日はこれが精一杯です。
溜まっていて書けなかった事をくちゃくちゃ並べてみまして
すっきりいたしました。
また次回からタメにもならぬ日々のむだばなしを書いてまいります。
よろしくお願いいたします。

2011年3月13日日曜日

がんばれ日本

この未曾有の状況の中、私なりに沢山考えています。


苦しんでいる人が沢山いるんだから、
助けに走ればいいんだろうと思う。
食料や水を持って、苦しんでいる人たちに届ける事が出来れば
一番いいんだろうと思う。


でも、今の私にはできません。


地震前から入っていた仕事を今せっせとこなしています。
さらにこんな時期に私は引っ越しをするのでありまして、
何かと準備をしないといけません。


「いいんだろうか」ほんとに悩みました。


いや、悩んでもしょうがないことで、仕事をしないと暮らせませんし、
お客様にご迷惑をかけてしまいます。


引っ越しも予定通りに行わないと、不動産屋さんや大家さん、
さらには連帯保証人になってもらった先輩にも申し開きございません。


だから、今の私は全く人の役に立っていません。
でも、この日本国を大切に思っていますし、被災地の方々を心配しています。


今私に出来る事を考えています。


明日、すぐに募金をします。
100万200万円もできればいいですが、無理です。


だから一生懸命働いていきます。
引っ越しもちゃんとします。
そして一息ついたらまた考えます。


がんばれ日本。


私は笑顔で人に優しくします。

2011年3月11日金曜日

情報

ふと、蘇りましたよね。


グラッときて、気持ち悪い!ぐらいの感覚で、
まさかここまで大変なことになったとは正直思いませんでした。


刻々と状況が分かってくるあの感覚が、あの時と何故か似ていて。
ただ、あの時と少し違うことが今回はありました。


あの時はいったい何が起きているのか、
どこでどうなっているのか、情報が足りなさすぎました。
本当に不安だったことを今思い出しました。


して、今回世の中は個人レベルで情報を発信し続けておられます。
私はツィッターではじめて状況を知りました。
みんなこぞってどうなっているのか、書き込まれています。
私も、テレビを見れる環境にあるのでテレビをつけ、速報を書き込んでみました。
中には、テレビを見れない環境の人に
NHKがUSTREAMでライブ配信していることを
RTでみんなに伝えようとしてくれています。


あースゴい!
とてもみんなが情報を共有しあおうとしている。


USTREAMの画面横にツィッター画面が併設されています。
そこには震源地近くの方の状況速報。
「余震が頻発!」「中央区揺れてます!」
被災地の皆さん気をつけてください!」
千葉製鉄所爆発しました…」


また阪神淡路大震災の経験からの注意事項や、
ここに逃げれば安心ですといった安全誘導。
日本語がわからない外国人の方へ向けて現地語での書き込み…。


誰かがつぶやいたことが、
誰かにとってとても大切な情報だったり、勇気づけられたり。
テレビやマスコミが伝えきれない大切な情報を
この進化した通信網が補っているのであります。
人が人のために無償で情報発信しているのであります。


今、
仙台市青葉区春日町の西公園近くにお年寄りが住んでます!!!
 助けられたら助けてあげて」
ツィッターで呟いておられます。
何もできなくてどうしたらいいかわからない。」
仙台大丈夫か…」「心配」


もう、頑張って!
危ないところには行かないで。



もう支離滅裂です。
情報がすごいことになっていますって事を書きたかったんですが
めちゃめちゃです。





2011年3月6日日曜日

進化する技術

私のような超アナログ人間が、
今デジタルだか、ITだとかなんか
スゴい世界の片隅に存在しているのであります。


「あー、わからん!新しいソフトだとか、
 カタカナで言われたって知らんって!」
日々進化を続ける技術の中で、私はいつも怒っていたのであります。


私は目の前にあるものを自分の力で動かすことで
安心して業務を行っていたのであります。
それがパソコンの導入に伴い、
半分ほどコンピューターが勝手に処理して頂けるもので
「あらー、できたのねぇ」と。
何か頼りげなく依存して行くのであります。


つまり、何故こう完成して行ったのかのしくみまで
理解していないのであるから、
もしこのコンピュータが故障してしまったら
私にはどうすることも出来ないでいたのであります。


そういうことが過去に何度もあり、
私は本当にコンピューターを嫌っていったのであります。


そして世の中はどんどん進化を続け、
クラウド、フェイスブック、ツィッター、EPUB…。
もう収拾がつかないほど訳の分からない言葉が飛び交う
世の中になってしまいました。


私が請け負う仕事も進化に伴い、
それ相応のソフトで作業することを望まれてまいりました。
もう私は嫌で嫌でたまらず、この業界を去ろうかとまで思ったものでした。


でもこの不景気、そう簡単に次の職種が見つかるわけも無く、
ダマシダマシ新しいソフトを習得、
いや少し慣れて業務を全うしていたのであります。


そんなこんな暗黒の時代を過ごしてまいりました私が、
ここ数年心境が変わってまいりまして。
一昨年ぐらいでしょうか、業務でインデザインを使い始めた頃。
どうやらこの進化は、一つ完成させたモノを
たくさんのカタチに成型してアウトプットする技術なのではないか。
私、こう思い込んだのであります。
多分に間違いのある稚拙な分析でありますが、
私このとき本当にそう思い込み
嬉々として進化バンザイ!と喜んだのでございます。


だから、本当にやりたいことがあれば、
それに一番マッチした媒体にアウトプットすればいい。
その媒体が今加速して増えている。
その媒体がより個人に近付き、
安価で一人からでも発信できる部門が増えて行っている。
その部門をこちらが選んでアウトプットすればいいんだって
いうのがバツグンに嬉しいのであります。


本当は違うのかもしれませんが、私はそう思い込んだのであります。


すると、今まで困難に思えた自分のやりたかったことが
これら進化した技術によって実現するかもしれないのであります。


私、偉そうに申しておりますが、何一つできないのであります。
昨日も、このむだばなしがアップされたとき
ツィッターに掲示されるようセットするのですら
K氏にわざわざ来てもらいやってもらったぐらいですから、
なんかスゴいことをこの進化した技術を使って
世に知らしめるなんてことは無理なのでございます。


ですが、ちょっとだけ理解したんですよ。
日々進化している技術は、
歳を重ねる我々中高年を苦しめることではないんだと。


反対に少しでも便利に、楽しく過ごして行けるための技術なんだと。


でもしんどいんですけどね、
新しいものを理解したり受け入れたりすること。
それでもその先に楽しいことがいっぱいあるような気がして、
私は新しいものに触れて行こうと思うわけであります。

2011年3月3日木曜日

お参り



世の中はここ数年、不景気の嵐が席巻しているのでございます。
仕事が減り、一つの仕事の価格もガクーンと落ち、
それこそ時代が逆行していく勢いであります。


もうこうなったら、神頼みだぁ〜!
というわけで2〜3年ほど前から住吉大社へお参りにいっております。


毎月最初の辰の日にお参りすれば、商売繁盛、家内安全になるっていう
「初辰まいり」でございます。


初の辰、はつたつ、はったつするって事ですよ。


今月は昨日でございまして、朝から行ってまいりました。
毎月、このはったつさんには、
大阪の中小企業の社長という社長が集合してまいります。
いやぁ、それほどの勢いでありますよ。
もう、わさわさ、パンパン、ガラガラでありますよ。
私を含めて皆さん必死でございます。
右から左から上から下からお賽銭が飛び交って、
住吉大社の商売繁盛をかなえるお参りなんじゃないかって、
巷ではもっぱらの噂でございます。


さぁ、どれだけ社長さんは大変か、必死なのかは
境内で一歩下がって見つめますと一目瞭然であります。


60歳代の髪の毛をバーコードにしながら右から左に貼付けているお父さん、
賽銭箱前の鈴をグルングルン振り回し、ガラガラ!ガッシャーン!って勢いで
2回手を打ち鳴らし合わせた手を額に刷り寄せます。
三角定規の90度角よろしく、カクーンとお辞儀をし
お願いを始められるのであります。


そのお父さんの左隣には、40を超えた女性経営者っぽい方が
これまたしっかと合わせた手に額をくっつけ、
お願いの数々を少し声に出して呟いておられます。


そして私の隣にいるおばちゃん2人組。
「あかんなぁ、借金減らへんわー」
「なぁ、うちらみたいなちっちゃいお店でも
 神さん願いかなえてくれるんやろか」
「そら言わんより、言うといたほうが、
 なんかの間違いでかなえてくれるかもしれへんやん」
「せやな、言うとこ言うとこ」


さっきから場違いの大阪おばちゃん特有の
小さくてもよく通る声で境内を蹂躙しております。


私たちのいる場所は鈴や賽銭箱のあるところまでちょっと距離があります。
もうワレガワレガで詰めかけているわけで2人組も躊躇しているわけであります。


「じゃぁお参りしよか」
おばちゃんは財布に手を伸ばし、
徐に5円玉を手に握り大きく振りかぶったのでございます。


やっ!
小さく声を出し、5円玉は大きく放物線を描き賽銭箱へ
飛んで行くのでございます。


え!私はびくりしまして。


その5円玉は2つとも先ほどの60歳代お父さんのはげ頭へ一直線であります。
お父さんちょっと前のめりの衝撃を受け、キッと後ろを振り返るのであります。


え!視線がこっちへ来るわけですよ。


「私じゃありませんがな〜」的な顔をしまして
「このおばちゃんでんがな」って隣を観ますと


2人とも恭しく頭を垂れておられます。
え〜!でありますよ。


おばちゃん小さくてもよく通るあの声で
「大当たりやなぁ」
「な、ええことありそうやろ」
「ほんまやなぁ、大当たりや」




住吉大社はお参りだんじり祭りでございました。

2011年3月1日火曜日

結構急ぎの仕事でバタバタ働いていたんですが、
やっと初校を出してホッとした黄昏時。


前々から石けんとトイレクイックルが切れたまま、
誤摩化して過ごしてきましたがいよいよ顔も洗えなくなったので
量販店へお買い物であります。


レジは3つあり、2つはお客さん二人づつ待ちの行列ができているが
奥のレジは誰も並んでいません。
ためらわず奥のレジカウンターへ商品を置くのであります。


「いらっしゃいませ」
弱々しい少し高めの声が心なしか震えて聞こえてまいります。


私は何気にレジの人に顔を向けたのでありました。
そこには、軽めのアイシャドウと淡いチークに真っ赤なルージュがひかれた、
40手前の男性がおられまして。


そう、男性であります。


一瞬たじろいだ私の態度に小さい声がさらに小さくなったように感じまして。
それでも「えいや!」と一つ頭を振って口角を無理矢理上げて、
笑顔を作り、精一杯大きな声を出すのであります。


「牛乳石けん一箱、トイレクイックル1パック」
一生懸命頑張ったのでございましょう、
ここまで言って一息つかれるのでございます。


「…以上でよろしゅうございますでしょうか」
自分としては思いのほか大きな声を出されたと恥ずかしがられたのでしょう。
また、小さい声で今度は確実に声が震えておられました。


財布から千円札を抜き取り渡しますと、
恭しく預かられ、丁寧におつりをいただきました。


「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
レジカウンターの角に三つ指を本当について、
深々とお辞儀をされるのであります。


「ありがとう」私も思わずお礼を言っていました。


私、こういう人に感動するのでございます。
なんてカッコイイ人なんだろうと、
どれほど強い人なんだろうと尊敬するのでございます。


いわゆるカミングアウトでありますよ。
今でこそオネエ芸人やらタレントさんが大挙目にする機会が増えたもので、
それほど違和感は無いのだけれど。
テレビの世界や夜の街でない、生活用品を販売している量販店であります。
好気な目と、嫌悪の言葉が容赦なく浴びせられる生活空間で
カミングアウトするのは大変なことだと思うわけですよ。


きっと色んなことを言われたんだと思うわけですよ。
後悔も山ほどしたんだと思うわけですよ。


でも彼は、いや彼女は決意するわけですよ。
しっかり引かれたルージュが
彼女の背中を押したりなんかするんですよ。


レジに一人立つ彼女は心細げな立ち居振る舞いとは反対に、
凛とした美しさが漂うわけですよ。




がんばれ。
いやがんばってらっしゃる。
私なんかよりずっとがんばってらっしゃる。


でも負けないでほしい。
私を含め、世間なんていつ何時、
好意から悪意に変わるかわかったもんじゃないのであります。


きっと、そんな日が来る可能性は私たちよりずっと高いんだと思います。
そんなとき負けないでほしい。
そんなときも今日のように凛としていてほしい。


彼女は深く下げた頭をゆっくり戻し、
私の後ろに並んでいたお客さんに相対したのであります。
心なしか、先ほどより緊張がほぐれたように、
少し自然な笑顔と高めな声が落ち着いたように感じたのであります。




一雨ごとに季節は変わってまいりました。
もう春でございます。

2011年2月26日土曜日

H氏

もう春はすぐそこ、あったかい日差しに誘われてお茶飲み友達に電話を入れまして。
こんないい天気にお仕事なんかできませんわって言い訳をしてお茶をいたしました。


お茶飲み友達って言っても、以前サラリーマンしてました頃の社長さんでございます。


このたび会社が倒産いたしまして、
整理が終わったのでブローカーとして再出発したという強者でございます。
さぞかし、落ち込んでいるだろうと思われるのでしょうね皆さんは。


イニシャルトークで参りますからHさんとしておきましょう。
このHさん、すこぶる元気なのでございます。
お歳も今年61歳?の御大でございます。大体でございます。
結構なお歳なんですよ。一般的に考えるともう終わりですよ。
力つきましたって老後を迎えるもんですよ。


でもHさんは違う!
また立ち上がっちゃったんですな。
まだお子さんが小さいから嫁はんに働いてや!って
言われてるらしいんですけどね。


「あら!お元気そうですな」
『そうやねん!


「なんかええことでもあったんでっか」
『そうそう、朝から嫁はんが仕事の面接で早よ出て行ったからね』


「なんででっか、奥さんと会わんほうがええんですか」
『いやいや、今までたっぷり溜まってるエロビデオを観れたからね』


「えー!まだ観てますか!元気でんなー!…したんでっか」
『そうそう!したした!もうよかったわー』


「えーしたんでっか!!ほんま元気でんなー!!!しんじられへんわ!」
南森町の交差点でおっさん2人は大声で爆笑するのでございます。


基本的にこのH氏と話をするとエロ話になってしまうんですね。
私もH氏もスケベではあるんですが、エロ話はこの2人でしかしないんですね。
これは不思議です。


もう会社が倒産したり、金融機関からの借り入れをチャラにしたり、従業員を解雇したり…。
一連の手続きをしてる最中でも、エロ話はしてましたな。


アホな話もしてました。
多少、渦中の時は投げやりなエロ話をしてましたが、
絶対周りの人には、この人が倒産整理手続き中であるなんてわかりませんよ。


で今、全ての整理が終わって再出発を果たしたわけで、
エロ話にも拍車がかかりますな。
私もアホな話のネタふりするわ、
H氏がボケて、漫才の掛け合いでございます。


私が勤めていた頃もアホな話の掛け合いはしていたんですが、
今はほんまに漫才なんですね。
歳を重ねたH氏が本当にボケてくれますし、
多分半分は天然のボケになってきたもんで本気で笑えるんですよ。


「いやー、今多分、世界中で一番幸せなんでしょうなー」
『ほんまやで、お金も無いし、名誉も無いし、
 責任もほとんど無くなったけど、生きて行けるんやもんなぁ』


「そうそう、もうここまできたら怖いもんありまへんやろ」
『ない!断言できるわ。
 もう肩の荷を下ろしたから軽ぅてラクラク。おもろいことだらけよ』


「おもろいでんな、世の中は〜」


私たち、一種悟りの境地に達しまして。
喫茶店の店内を見回すと、私たちを除いて笑っている人が皆無なんですね。
約2時間、笑いっぱなし爆笑のひとときでありました。


「なんかこれからはおもろいことして、お金儲けしたいですな」
『いや、お金儲からんでもええから、おもろいことしたいな』


もう人生終盤を目指して走っているオッサン2人、
仕事の本質を知ったのでございます。

2011年2月25日金曜日

国際情勢を考えてみた



私は、基本的にアホなので小難しい話はわかりませんねん。


前日にも書きましたように、人の鼻毛で一喜一憂するような
半径5mぐらいの生活エリアなんですわ。


だから、大阪都構想なんかも
橋下っちゃんが気持ちのよいいいっぷりが好きやから応援してますけど、
ほんまの中味は今イチ分かってまへんねん。
せやから、日本の国会なんかホンマによぉ分かりまへんねんやわ。


でもですな、こんなアホでも最近の世界変動には心がザワついとるんですわ。
チュニジアに始まり、エジプトと政権崩壊を成し遂げて、
今や砂漠の狂信者カダフィが四面楚歌になり、
果ては北朝鮮で一揆が起こってるらしいでっせ。


みんな不満を持って、あまりにも独裁が続いて生活が脅かされてきたから
デモが起きたのでありますわな。
こうやって世界はいろいろ変化して行きまんねん。


で、私、アホなりに疑問が湧いてきまして。
この広い世界の中で、デモやら一揆やら起きてもおかしくない国が
一国だけあることに気がついたんですわ。


その国とは、我が日本国。


ちゃいますか、前政権がなんかていたらくで野党にとってかわって、
国家予算を借金せんと運営しますわ!とか、
米軍基地はよそにもっていきますわ!とか、
子供手当もばらまきまっせ!っちゅうたり…。
まぁほとんどなんにも実現してないし、いらんことばっかりさらしゃーがって、
不景気に拍車をかけとるやおまへんか!


「色んなことがこんがらがってこうなっているんだから、
 今すぐはムリだ!改革すればしたで、それを批判するくせに。ぜいたく言うな!」
って大森南朋が言うてるけど、もうメチャクチャでっせ。


中学校の生徒会でも、ここまで選挙公約不履行、
不適切発言したらええ加減みんなに怒られまっせ。
もうそんなことですぜ、
バカにされまくってますで国が国民にやってることって。


でね、多分近々デモが発生すると思うんですわこの国にも。
きっと大阪が発祥地になりますわ。それも釜ヶ崎でしょうな。


デモやありまへんな、暴動だす!
最初は警官との小競り合いからワンカップ攻撃で西成署を包囲して
そのうち小競り合いは暴動に発展し、
橋下っちゃんもこの暴動は国のていたらくが原因だっつうて
我々市民の側に立ち、国道1号線を北上するわけですよ。


いつの間にやら河村氏や大村氏も連携し、なぜか石原ちゃんまで合流して、
歴史は後年「1号線の血塗られた行進」と名付けられますんや。


霞ヶ関は戒厳令。
フェイスブックで集まってきた人たちはピンク地に
ピースサインのTシャツなんか着てきてですな。
ロン毛の若者が「ラブ&ピース」を合唱するわけですわ。


まぁ、国民に発砲せぃなんて大胆な命令を出せる国会議員なんていませんから、
あっさり政権をクーデター首謀者に渡すことになりますわな。


そうそ、釜ヶ崎の労働者が政権を握るんですわ。
ほんまに労働党ですわ。労働党国家ですな。


絶対ええ国になりまっせ。
もう周りの人らも放っとけられへんから、みんなで助け合いまっせ。
寝食忘れてみんなのために、みんなが働きまっせ。


多分今の政権は頼りなさが中途半端なんですわ。
釜ヶ崎のおっちゃんたちぐらいまで頼りなかったら
国民はほんまになんとかせんといかんっつうて頑張るんだっせ。


どないだ、21世紀の日本国情勢。
そろそろ起きまっせ暴動。
今釜ヶ崎から目が離せませんな。

2011年2月23日水曜日

今回は…

りりりり〜ん。
がちゃん。


「もしもしまつおかです」
「あ〜まつおかく〜ん。○木です」


「あら〜お久しぶりです〜。お元気でしたか〜」
「ま〜ぼちぼちやねぇ。ところで3月10日11日空いてますか」


「え!10日11日ですか?なんかあるんですか?」
「へへへへ!白浜行かへん?」


「しらはま?旅行ですか?」
「そうそ、プレス旅行なんよ。東京法人からお誘いがあってね」


「取材ですか?いよいよ私にも取材仕事が解禁されたということですね〜〜〜」
「!ちゃうちゃう!そんなんされたらこっちが死活問題やんか」


「はぁ〜そうですか」
「ただ単に、招待旅行やねん。しょうたいやで!タダ!!お金ナッシング!」


「へ!お金ナッシング!?無料なんですね」
「そう、ボクは微妙で取材が重なりそうだから、まつおかくんどうかなぁと思って」




私、考えまして。


行きたいなぁ、タダやし。最近旅行行ってないし。
でも、そのあたり仕事入ってそうやけどなぁ。いや、今からなら調整できるか。
プレス旅行なら色んな人来はるやろな。
この業界の人も紹介してくれはるやろし、仕事が増えるかもしれんなぁ、おいしいな。


それに案外若いライターさんなんかも来はるかも。


『あら〜まつおかさんってプニョプニョのお腹がカワイイ♥』
「バカなことを言うんじゃないよ。キミ〜」


『触らして〜、癒されるわ〜♥』
「おいおい、だめだって」


『いいじゃないですか〜、私にも触って〜どうにでもしてください〜』
「いいのかい、じゃあいただきます」ガバッ!


ガチャッ!!


【コラ!!!まつおか!うちの娘に何をしているんだ!!】
「え!クライアントさんの娘さんなんですか!!」


【こんなことしてタダですむと思っているのか!取引停止じゃ!!】
「え〜〜〜〜!」


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「…すみません、10日11日は多分仕事が入りそうで今回はスルーしますわ」
チン…。

2011年2月21日月曜日

おばちゃん



おばちゃんは大阪に限りますな。


今日は笠行くんと更科で他人どんぶりセットを食べに参りました。


「おばちゃんお会計して〜」
「はいはい〜」


「おばちゃん、今日も元気やねぇ〜」
「そう!元気だけが取り柄なん!」


「元気満タンやなぁ」
「満タンやで!」


「おばちゃんもがんばりや〜」
「おおきに!兄ちゃんもがんばるんやでぇ〜」


「わかった!がんばるでぇ〜!!」
ガラガラ!ピッシャ〜ン!


一連の会話であります。
どこにでもある大阪人の会話であります。
さぁさてさて、この会話大阪以外では成り立たないのであります。


どこがオカシイのでしょうか。
まず第一に「おばちゃん、今日も元気やねぇ〜」という私の会話。
私、このおばちゃんと初めて会うたんであります。
「今日も元気やねぇ〜」って昨日も元気やったか知りません。


だのにおばちゃん平然と答えるのであります。
「そう!元気だけが取り柄なん!」って。
東京やったら「あなた私のこと知っているのですか?」真顔で聞くのでしょうか。


追い討ちをかけるように「元気満タンやなぁ」って、
まぁなんと馴れ馴れしいことか。
おばちゃん間の手はしっかりと「満タンやで!」って。


「おばちゃんもがんばりや〜」ってほっとけやって、
大きなお世話やと思うんじゃないでしょうか。
「おおきに!兄ちゃんもがんばるんやでぇ〜」切り返す訳です。
これ取りようによると「お前ががんばれや!」とジミーちゃんよろしく突っ込みである訳で。


おばちゃん笑顔であります。
不快感を与えること無く明るくお客さんを送り出すのであります。
「わかった!がんばるでぇ〜!!」
して、単純なる大阪のおっさんは元気に残りの一日を過ごせるのであります。


おばちゃんは大阪に限りますなぁ。


なんなら20人編成でリビアに送り出しますぜ。
「カダフィはん!あんた1回国民の前で謝りなはれ!
 すんまへんでしたって頭下げなはれ!」
「国民にも言うたげるやないの、堪忍したり!
 謝ってるんやさかい、許したり!
大阪のおばちゃん、カダフィなんか怖くないでしょうね。
鉄砲なんか屁でもありません。
マシンガントークで駆逐します。
こうして2011年版無血革命は成功するのであります。


日本は今こそ大阪のおばちゃんを輸出して
国際平和に貢献する時なのであります。


して最近、私もおばちゃん化してまいりました…。