2011年4月18日月曜日

ご無沙汰でございます。

ご無沙汰でございます。

引っ越しも無事に終わりまして、
抱えていた仕事も予定通り初校を出し、
最終段階前の中休みでございます。

あれからひと月。
沢山の方達にお世話になり、新しい環境で、
新しいスタートを切っています。

おめでとうって沢山の方が言ってくださいました。
有り難うございます。

こんな日本が大変なときに、私はおめでとうって、
いつもより沢山沢山祝福していただいているのです。
そして私はその何倍もの数のありがとうを
その方達にお礼申し上げてきたのでございます。
そんなひと月でございました。

私は、あらためて言葉の難しさを実感してまいりました。
こんなときだからこそ、書かなければと思うのだけれど、
伝える言葉が出てまいりません。
何度か書いてはやめ、また書き出しては躊躇の繰り返しでありました。

心配する言葉を書けば、きれいごとに聞こえてしまったり。
オレには関係ないって悪ぶっても、多分本心ではありません。
だから文章として成立していない、
言葉の切れ端が下書きのファイルにたくさん積み上がっています。

何せ、私は震災とはまったく関係のないところで、
映像や文章を目にする事で一緒に被災者ぶっていたのかもしれませんから、
目一杯うしろめたいのでございます。


引っ越しが終わり、
業務に追われた日々が順調に消化されまた日常が戻ってきますと、
沢山の人たちとお話しする機会も戻ってまいります。

引っ越しの案内状が届いた方から、多々電話を頂いたり、
また突然の訪問でお祝いされたり。
面と向かってお話をしまして。

たくさんたくさん、
今までできなかった話を堰を切ったようにとめどなく、
どなたも私も話をしまして。

言葉はとても難しいですが、話す事はとても大切なのです。
私のような気分に左右される思考の持ち主にとって、
頭の中だけでは、とてもとても考えはまとまりませんし、
ろくな事を考えないわけです。
皆さんもどうやら同じように行きづまっておられたようです。
最後には少しすっきりされて帰られたようです。
いや、それは間違いなく私の方もなのですが。

結局、私には被災地の方達を勇気づける事も、
被災地を復興させる事も、
ましてや日本を救う事なんて出来ない事を知ったのであります。

唯一、復興支援の募金を少額なれど、
おりにふれ続けて行く事しか出来ない事も知ったのであります。
それでいいんだと、皆で声を合わせて確認したんであります。

そして今、地震に伴って起きている沢山の問題に関わる
関係者の人たちを非難することを放棄しました。

多分、いけないことも沢山あったのでしょうが、
精一杯事態収拾に尽力している人たちを責める事は、
何ら人のためになっていない私には出来ない事であります。

もしかしたら、その現場で働いている人や、
遠くから指示を出している人が、
本当の意味でこれからの日本を救う事の出来る人たちかもしれないわけですよ。

これは語弊がありますよね。

いや、救うも滅ぼすのもその人たちの手によるんじゃないかって事です。

もっと語弊がありますね。

ならば、その人たちが日本を救うヒーローになって欲しいのであります。
だから応援したいのであります。

毎日記者会見で窮地に陥っているおエラい人たちにもエールを贈ります。
私があの立場になったらって考えるだけで頭が下がる思いであります。


「しちゃった事はしょうがねぇ」
北の国からの黒板五郎さんは蛍にそう言った。
「オレも少しだけ責任をとるから」って。

そう、被爆国である我が国が原発を容認した
我々国民も責任を背負わなきゃいけないんですから。
みんなで応援し合わないと上手くいかないように思うわけです。

金も力も根性も無い私は、責任を噛み締め、
日々の生活を頑張ってまいります。
沢山の援助をしていただいた外国の方たちにも感謝の気持ちを忘れずに。

また、キレイごとに聞こえてしまうでしょうか。
本当にそういう気持ちであります。

またちょくちょくブログ書いてまいります。
今日はこれが精一杯です。
溜まっていて書けなかった事をくちゃくちゃ並べてみまして
すっきりいたしました。
また次回からタメにもならぬ日々のむだばなしを書いてまいります。
よろしくお願いいたします。