いやぁ、この目紛しく発展しては時代遅れとなってしまう世の中で
私も来月四十と六歳を迎えようとしております。
曲がりなりにもネットを使って、データのやりとりとか
データ作成なんかを行っている職種の人間として、
ここらで普通の人が普通に適応している事を私も挑戦してみようかと思ったわけであります。
多分、他の人が見たら
「なーんや、そんな事か。ちょ〜カンタンやん」ぐらいの事であります。
ただ、私この計画を思いついてからかれこれ半年の歳月を費やしたのであります。
悩んでは諦め、いやイカン!ここでめげては前へ進まぬ。
自分に鞭を振るいやっとこの度、挑戦を果たしたということであります。
この挑戦、二つありまして。
一つはかねがね鬱陶しく感じておりました頭髪を
サッパリ丸坊主にする事であります。
「え!時々やってるやん。素敵やないやん〜」と思われる方、
私に近い方ですと多々おられる事でしょう。
今回私が挑戦するのは、この丸坊主を私が私自身で行う事であります。
つまりセルフカットってやつでございます。
そして、もう一つの挑戦は、
自作の動画をYouTubuに公開するという事であります。
これは長年思い描いていた挑戦でして、
絶対必ずいつか果たしたい宿題でありました。
で、今回この二つを一緒くたに挑戦したのであります。
以下がその成果であります。
いかがだったでしょうか。
失礼いたしました〜。
2011年9月27日火曜日
2011年9月12日月曜日
2011年8月25日木曜日
中央突堤
火曜日のことじゃった。
潮の香りに誘われて、大阪港の中央突堤へ向かったのじゃった。
もうすっかりあたりは暗くなり、物悲しいたそがれどき。
おっちゃん、今日の釣果はいかがでしょう。
わしは、船を見とるんじゃ。
今まさに大海原へ旅立つ大型タンカー。
「船は出て行く、あなたは来ない〜」
おっちゃんの釣り竿がキュッと引かれ、身体がビクッと反応する。
根がかりやちゅうのに〜。
「船は出て行く〜、あなたは来ない〜」
潮の香りに誘われて、大阪港の中央突堤へ向かったのじゃった。
もうすっかりあたりは暗くなり、物悲しいたそがれどき。
おっちゃん、今日の釣果はいかがでしょう。
わしは、船を見とるんじゃ。
今まさに大海原へ旅立つ大型タンカー。
「船は出て行く、あなたは来ない〜」
おっちゃんの釣り竿がキュッと引かれ、身体がビクッと反応する。
根がかりやちゅうのに〜。
「船は出て行く〜、あなたは来ない〜」
2011年8月23日火曜日
電話
バリバリバリ…
携帯電話が鳴り響く午前11時。
画面には0792の市外局番の見慣れない番号通知。
「はいまつおかです」
溌剌と電話に出てみました。
「●●の電話でしょうか」
恭しく発せられた声はお歳を召された女性であります。
「いえ、まつおかです」
もう一度はっきりとこちらの名前を告げるとその女性は
「あー申し訳ございません。間違い電話をしたのでしょうか」
とても丁寧に謝られてしまいまして。
「何番におかけですか」
基本的に間違い電話して来られますと私、結構無愛想になるのでありますが、
今回はいたって優しい体操のお兄さんでございます。
「ゼロ、キュウ、ゼロ…」
番号を一つずつゆっくり正確に伝えられまして。
「あー、最後の数字が違いましたね」
「あらー、そうでございましたか。ほんっとうに申し訳ございません…」
きっと受話器の向こうで深々と頭を下げているのでございましょう。
ございませんのざいあたりから声がかすれて聞き取り辛くなっていまして。
「では、失礼いたします」
最後の最後まで丁寧すぎる受け答えでございました。
きっと、田舎の結構厳格な家庭の奥様でいらっしゃるのでしょう。
都会に働きに出た、歳の頃なら30歳手前の一人息子。
都会の暮らしは大丈夫だろうか、幾つになっても親は親。
心配は募るばかりのお母様。
仕事先でいい人でも見つけたのだろうか、それならいいんだけど。
最近、忙しいらしく今年のお盆も帰って来なかったし。
そろそろ身を固めて欲しくて見合いの話など沢山用意していたのに…。
お父さんは「そんなもん放っとけばいい!あいつも子供じゃないんだから!」
突き放すように言うもんだから、
こそこそとお父さんがいないお昼前を見図ってかけた電話。
「これ、オレの連絡先やから…」乱暴に放られた名刺の裏に
殴り書きされた携帯電話の番号。
何度も見返してゆっくりボタンを押したはずだったのに、
最後の数字がその瞬間判読できなくなってしまったお母様。
想像は膨らむのでございます。
きっと今頃、名刺の裏に殴り書きされた番号を一つ一つしっかり押し込み、
最後の数字を再度確認して人差し指が真っすぐ番号を射抜いているところでございましょう。
お盆も終わり、熱帯夜から解放された日本列島は少しだけ秋の香りを漂わせております。

因に、0792の市外局番は兵庫県 姫路市、太子町、香寺町、高砂市(一部)だそうです。
携帯電話が鳴り響く午前11時。
画面には0792の市外局番の見慣れない番号通知。
「はいまつおかです」
溌剌と電話に出てみました。
「●●の電話でしょうか」
恭しく発せられた声はお歳を召された女性であります。
「いえ、まつおかです」
もう一度はっきりとこちらの名前を告げるとその女性は
「あー申し訳ございません。間違い電話をしたのでしょうか」
とても丁寧に謝られてしまいまして。
「何番におかけですか」
基本的に間違い電話して来られますと私、結構無愛想になるのでありますが、
今回はいたって優しい体操のお兄さんでございます。
「ゼロ、キュウ、ゼロ…」
番号を一つずつゆっくり正確に伝えられまして。
「あー、最後の数字が違いましたね」
「あらー、そうでございましたか。ほんっとうに申し訳ございません…」
きっと受話器の向こうで深々と頭を下げているのでございましょう。
ございませんのざいあたりから声がかすれて聞き取り辛くなっていまして。
「では、失礼いたします」
最後の最後まで丁寧すぎる受け答えでございました。
きっと、田舎の結構厳格な家庭の奥様でいらっしゃるのでしょう。
都会に働きに出た、歳の頃なら30歳手前の一人息子。
都会の暮らしは大丈夫だろうか、幾つになっても親は親。
心配は募るばかりのお母様。
仕事先でいい人でも見つけたのだろうか、それならいいんだけど。
最近、忙しいらしく今年のお盆も帰って来なかったし。
そろそろ身を固めて欲しくて見合いの話など沢山用意していたのに…。
お父さんは「そんなもん放っとけばいい!あいつも子供じゃないんだから!」
突き放すように言うもんだから、
こそこそとお父さんがいないお昼前を見図ってかけた電話。
「これ、オレの連絡先やから…」乱暴に放られた名刺の裏に
殴り書きされた携帯電話の番号。
何度も見返してゆっくりボタンを押したはずだったのに、
最後の数字がその瞬間判読できなくなってしまったお母様。
想像は膨らむのでございます。
きっと今頃、名刺の裏に殴り書きされた番号を一つ一つしっかり押し込み、
最後の数字を再度確認して人差し指が真っすぐ番号を射抜いているところでございましょう。
お盆も終わり、熱帯夜から解放された日本列島は少しだけ秋の香りを漂わせております。

因に、0792の市外局番は兵庫県 姫路市、太子町、香寺町、高砂市(一部)だそうです。
2011年7月13日水曜日
うた
いえいえ、こう年齢を重ねてまいりますと、
趣味嗜好というものはそっと変わって行くものでございます。
例えば、肉にガッついていた若い頃から
白身魚をこよなく愛するおじさん口になっていたり。
例えば、ドンパチよろしくアクション映画に爽快感を得ていた10代の私は、
涙がなければ映画と認識しない40代後半を送っているのであります。
そして、私のような仕事をしている方なら
必須となります音楽もまた然りであります。
よろしくロッケンロール、JAZZだぁ、ブルースだぁと
もろもろ流行の上っ面のかすみ液をすくうようになめて過ごしてまいりました時代が
もういい加減人生の折り返し地点を通過しますと、
なんと驚くなかれ、これがここへ到達するのでありますよ。
それは、演歌!
よろしいなぁ演歌。
日本の心だすなぁ演歌。
コロコロ回るこぶし、よろしいですなぁ演歌。
お酒は全く飲めませんけど、
多分ぬるめのカンがよろしいんでっしゃろなぁ。
肴はあぶったイカでええんでっしゃろなぁ。
日本人は日本海が似合うんでっしゃろなぁ。
津軽海峡もよろしいですわなぁ。
もう、向こうのもんこう握ってこっち持ってきて、パァって投げる感じ。
よろしいですなぁ演歌。
只今、YouTube上でさゆりちゃんが流れております。
思わず一人連絡船に乗り凍えそうなかもめ見つめ
泣いてみたくなる津軽海峡冬景色が流れ、
くらくら燃える火をくぐってあなたと越えたくなる天城越えで涙し、
ちょっとムーディーにウィスキーがお好きでしょ!
なんて言われようもんなら、一口も飲めない私だってお好きです!って言いますって!
もう少し喋りますって!
さゆりちゃーん!つって。
10代の頃、嫌悪していた親父達の嗜好はまさしくこのあたりだったのでありましょう。
あの頃はわからなかったんですねぇ。
私、親父達の年齢になりまして、しみじみ日本人である事を実感するのでございます。
本日、仕事の打合せで個室に通された私は、
担当さんが来られる数分の間。
口ずさむのであります
「ふんふんフンフン、ふふふフフン、ふふふふフンフンフフン、ふふふふふん…」
ガチャッ。
「お待たせしました」
アッ!
「どうかされましたか?」
いえいえ…
つつがなく打合せが終わり一礼をして退出しようとした瞬間、
担当さんがおっしゃいまして。
「雨の慕情はよろしいですなぁ…」
私、八代亜紀も好きであります。
趣味嗜好というものはそっと変わって行くものでございます。
例えば、肉にガッついていた若い頃から
白身魚をこよなく愛するおじさん口になっていたり。
例えば、ドンパチよろしくアクション映画に爽快感を得ていた10代の私は、
涙がなければ映画と認識しない40代後半を送っているのであります。
そして、私のような仕事をしている方なら
必須となります音楽もまた然りであります。
よろしくロッケンロール、JAZZだぁ、ブルースだぁと
もろもろ流行の上っ面のかすみ液をすくうようになめて過ごしてまいりました時代が
もういい加減人生の折り返し地点を通過しますと、
なんと驚くなかれ、これがここへ到達するのでありますよ。
それは、演歌!
よろしいなぁ演歌。
日本の心だすなぁ演歌。
コロコロ回るこぶし、よろしいですなぁ演歌。
お酒は全く飲めませんけど、
多分ぬるめのカンがよろしいんでっしゃろなぁ。
肴はあぶったイカでええんでっしゃろなぁ。
日本人は日本海が似合うんでっしゃろなぁ。
津軽海峡もよろしいですわなぁ。
もう、向こうのもんこう握ってこっち持ってきて、パァって投げる感じ。
よろしいですなぁ演歌。
只今、YouTube上でさゆりちゃんが流れております。
思わず一人連絡船に乗り凍えそうなかもめ見つめ
泣いてみたくなる津軽海峡冬景色が流れ、
くらくら燃える火をくぐってあなたと越えたくなる天城越えで涙し、
ちょっとムーディーにウィスキーがお好きでしょ!
なんて言われようもんなら、一口も飲めない私だってお好きです!って言いますって!
もう少し喋りますって!
さゆりちゃーん!つって。
10代の頃、嫌悪していた親父達の嗜好はまさしくこのあたりだったのでありましょう。
あの頃はわからなかったんですねぇ。
私、親父達の年齢になりまして、しみじみ日本人である事を実感するのでございます。
本日、仕事の打合せで個室に通された私は、
担当さんが来られる数分の間。
口ずさむのであります
「ふんふんフンフン、ふふふフフン、ふふふふフンフンフフン、ふふふふふん…」
ガチャッ。
「お待たせしました」
アッ!
「どうかされましたか?」
いえいえ…
つつがなく打合せが終わり一礼をして退出しようとした瞬間、
担当さんがおっしゃいまして。
「雨の慕情はよろしいですなぁ…」
私、八代亜紀も好きであります。
2011年4月18日月曜日
ご無沙汰でございます。
ご無沙汰でございます。
引っ越しも無事に終わりまして、
抱えていた仕事も予定通り初校を出し、
最終段階前の中休みでございます。
あれからひと月。
沢山の方達にお世話になり、新しい環境で、
新しいスタートを切っています。
おめでとうって沢山の方が言ってくださいました。
有り難うございます。
こんな日本が大変なときに、私はおめでとうって、
いつもより沢山沢山祝福していただいているのです。
そして私はその何倍もの数のありがとうを
その方達にお礼申し上げてきたのでございます。
そんなひと月でございました。
私は、あらためて言葉の難しさを実感してまいりました。
こんなときだからこそ、書かなければと思うのだけれど、
伝える言葉が出てまいりません。
何度か書いてはやめ、また書き出しては躊躇の繰り返しでありました。
心配する言葉を書けば、きれいごとに聞こえてしまったり。
オレには関係ないって悪ぶっても、多分本心ではありません。
だから文章として成立していない、
言葉の切れ端が下書きのファイルにたくさん積み上がっています。
何せ、私は震災とはまったく関係のないところで、
映像や文章を目にする事で一緒に被災者ぶっていたのかもしれませんから、
目一杯うしろめたいのでございます。
引っ越しが終わり、
業務に追われた日々が順調に消化されまた日常が戻ってきますと、
沢山の人たちとお話しする機会も戻ってまいります。
引っ越しの案内状が届いた方から、多々電話を頂いたり、
また突然の訪問でお祝いされたり。
面と向かってお話をしまして。
たくさんたくさん、
今までできなかった話を堰を切ったようにとめどなく、
どなたも私も話をしまして。
言葉はとても難しいですが、話す事はとても大切なのです。
私のような気分に左右される思考の持ち主にとって、
頭の中だけでは、とてもとても考えはまとまりませんし、
ろくな事を考えないわけです。
皆さんもどうやら同じように行きづまっておられたようです。
最後には少しすっきりされて帰られたようです。
いや、それは間違いなく私の方もなのですが。
結局、私には被災地の方達を勇気づける事も、
被災地を復興させる事も、
ましてや日本を救う事なんて出来ない事を知ったのであります。
唯一、復興支援の募金を少額なれど、
おりにふれ続けて行く事しか出来ない事も知ったのであります。
それでいいんだと、皆で声を合わせて確認したんであります。
そして今、地震に伴って起きている沢山の問題に関わる
関係者の人たちを非難することを放棄しました。
多分、いけないことも沢山あったのでしょうが、
精一杯事態収拾に尽力している人たちを責める事は、
何ら人のためになっていない私には出来ない事であります。
もしかしたら、その現場で働いている人や、
遠くから指示を出している人が、
本当の意味でこれからの日本を救う事の出来る人たちかもしれないわけですよ。
これは語弊がありますよね。
いや、救うも滅ぼすのもその人たちの手によるんじゃないかって事です。
もっと語弊がありますね。
ならば、その人たちが日本を救うヒーローになって欲しいのであります。
だから応援したいのであります。
毎日記者会見で窮地に陥っているおエラい人たちにもエールを贈ります。
私があの立場になったらって考えるだけで頭が下がる思いであります。
「しちゃった事はしょうがねぇ」
北の国からの黒板五郎さんは蛍にそう言った。
「オレも少しだけ責任をとるから」って。
そう、被爆国である我が国が原発を容認した
我々国民も責任を背負わなきゃいけないんですから。
みんなで応援し合わないと上手くいかないように思うわけです。
金も力も根性も無い私は、責任を噛み締め、
日々の生活を頑張ってまいります。
沢山の援助をしていただいた外国の方たちにも感謝の気持ちを忘れずに。
また、キレイごとに聞こえてしまうでしょうか。
本当にそういう気持ちであります。
またちょくちょくブログ書いてまいります。
今日はこれが精一杯です。
溜まっていて書けなかった事をくちゃくちゃ並べてみまして
すっきりいたしました。
また次回からタメにもならぬ日々のむだばなしを書いてまいります。
よろしくお願いいたします。
引っ越しも無事に終わりまして、
抱えていた仕事も予定通り初校を出し、
最終段階前の中休みでございます。
あれからひと月。
沢山の方達にお世話になり、新しい環境で、
新しいスタートを切っています。
おめでとうって沢山の方が言ってくださいました。
有り難うございます。
こんな日本が大変なときに、私はおめでとうって、
いつもより沢山沢山祝福していただいているのです。
そして私はその何倍もの数のありがとうを
その方達にお礼申し上げてきたのでございます。
そんなひと月でございました。
私は、あらためて言葉の難しさを実感してまいりました。
こんなときだからこそ、書かなければと思うのだけれど、
伝える言葉が出てまいりません。
何度か書いてはやめ、また書き出しては躊躇の繰り返しでありました。
心配する言葉を書けば、きれいごとに聞こえてしまったり。
オレには関係ないって悪ぶっても、多分本心ではありません。
だから文章として成立していない、
言葉の切れ端が下書きのファイルにたくさん積み上がっています。
何せ、私は震災とはまったく関係のないところで、
映像や文章を目にする事で一緒に被災者ぶっていたのかもしれませんから、
目一杯うしろめたいのでございます。
引っ越しが終わり、
業務に追われた日々が順調に消化されまた日常が戻ってきますと、
沢山の人たちとお話しする機会も戻ってまいります。
引っ越しの案内状が届いた方から、多々電話を頂いたり、
また突然の訪問でお祝いされたり。
面と向かってお話をしまして。
たくさんたくさん、
今までできなかった話を堰を切ったようにとめどなく、
どなたも私も話をしまして。
言葉はとても難しいですが、話す事はとても大切なのです。
私のような気分に左右される思考の持ち主にとって、
頭の中だけでは、とてもとても考えはまとまりませんし、
ろくな事を考えないわけです。
皆さんもどうやら同じように行きづまっておられたようです。
最後には少しすっきりされて帰られたようです。
いや、それは間違いなく私の方もなのですが。
結局、私には被災地の方達を勇気づける事も、
被災地を復興させる事も、
ましてや日本を救う事なんて出来ない事を知ったのであります。
唯一、復興支援の募金を少額なれど、
おりにふれ続けて行く事しか出来ない事も知ったのであります。
それでいいんだと、皆で声を合わせて確認したんであります。
そして今、地震に伴って起きている沢山の問題に関わる
関係者の人たちを非難することを放棄しました。
多分、いけないことも沢山あったのでしょうが、
精一杯事態収拾に尽力している人たちを責める事は、
何ら人のためになっていない私には出来ない事であります。
もしかしたら、その現場で働いている人や、
遠くから指示を出している人が、
本当の意味でこれからの日本を救う事の出来る人たちかもしれないわけですよ。
これは語弊がありますよね。
いや、救うも滅ぼすのもその人たちの手によるんじゃないかって事です。
もっと語弊がありますね。
ならば、その人たちが日本を救うヒーローになって欲しいのであります。
だから応援したいのであります。
毎日記者会見で窮地に陥っているおエラい人たちにもエールを贈ります。
私があの立場になったらって考えるだけで頭が下がる思いであります。
「しちゃった事はしょうがねぇ」
北の国からの黒板五郎さんは蛍にそう言った。
「オレも少しだけ責任をとるから」って。
そう、被爆国である我が国が原発を容認した
我々国民も責任を背負わなきゃいけないんですから。
みんなで応援し合わないと上手くいかないように思うわけです。
金も力も根性も無い私は、責任を噛み締め、
日々の生活を頑張ってまいります。
沢山の援助をしていただいた外国の方たちにも感謝の気持ちを忘れずに。
また、キレイごとに聞こえてしまうでしょうか。
本当にそういう気持ちであります。
またちょくちょくブログ書いてまいります。
今日はこれが精一杯です。
溜まっていて書けなかった事をくちゃくちゃ並べてみまして
すっきりいたしました。
また次回からタメにもならぬ日々のむだばなしを書いてまいります。
よろしくお願いいたします。
2011年3月13日日曜日
がんばれ日本
この未曾有の状況の中、私なりに沢山考えています。
苦しんでいる人が沢山いるんだから、
助けに走ればいいんだろうと思う。
食料や水を持って、苦しんでいる人たちに届ける事が出来れば
一番いいんだろうと思う。
でも、今の私にはできません。
地震前から入っていた仕事を今せっせとこなしています。
さらにこんな時期に私は引っ越しをするのでありまして、
何かと準備をしないといけません。
「いいんだろうか」ほんとに悩みました。
いや、悩んでもしょうがないことで、仕事をしないと暮らせませんし、
お客様にご迷惑をかけてしまいます。
引っ越しも予定通りに行わないと、不動産屋さんや大家さん、
さらには連帯保証人になってもらった先輩にも申し開きございません。
だから、今の私は全く人の役に立っていません。
でも、この日本国を大切に思っていますし、被災地の方々を心配しています。
今私に出来る事を考えています。
明日、すぐに募金をします。
100万200万円もできればいいですが、無理です。
だから一生懸命働いていきます。
引っ越しもちゃんとします。
そして一息ついたらまた考えます。
がんばれ日本。
私は笑顔で人に優しくします。
苦しんでいる人が沢山いるんだから、
助けに走ればいいんだろうと思う。
食料や水を持って、苦しんでいる人たちに届ける事が出来れば
一番いいんだろうと思う。
でも、今の私にはできません。
地震前から入っていた仕事を今せっせとこなしています。
さらにこんな時期に私は引っ越しをするのでありまして、
何かと準備をしないといけません。
「いいんだろうか」ほんとに悩みました。
いや、悩んでもしょうがないことで、仕事をしないと暮らせませんし、
お客様にご迷惑をかけてしまいます。
引っ越しも予定通りに行わないと、不動産屋さんや大家さん、
さらには連帯保証人になってもらった先輩にも申し開きございません。
だから、今の私は全く人の役に立っていません。
でも、この日本国を大切に思っていますし、被災地の方々を心配しています。
今私に出来る事を考えています。
明日、すぐに募金をします。
100万200万円もできればいいですが、無理です。
だから一生懸命働いていきます。
引っ越しもちゃんとします。
そして一息ついたらまた考えます。
がんばれ日本。
私は笑顔で人に優しくします。
登録:
投稿 (Atom)